タヌキ親父か稀代の策士か
徳川三百年の礎を、隷属忍従のうちに築き上げた家康の素顔。
徳川三百年――戦国時代の騒乱を平らげ、長期政権(覇王の家)の礎を隷属忍従と徹底した模倣のうちに築き上げた徳川家康。三河松平家の後継ぎとして生まれながら、隣国今川家の人質となって幼少時を送り、当主になってからは甲斐、相模の脅威に晒されつつ、卓抜した政治力で地歩を固めて行く。おりしも同盟関係にあった信長は、本能寺の変で急逝。秀吉が天下を取ろうとしていた……。
著者の言葉
日本歴史というのは、中国やヨーロッパの概念でいう英雄を一人も生んでいない。(略)
それはそれで、日本社会のおもしろさだと思うのだが、要するにこの稿の主人公は、歴史を変えたというその作業のわりには、中国やヨーロッパの概念の英雄からもっとも遠い存在なのである。同時に、中国的・欧州的概念の英雄が社会にもたらす惨禍という暗い面を、もっともすくなくしかこの人物はもっていなかった。(下巻「あとがき」)
司馬遼太郎(1923-1996)
大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。1993(平成5)年には文化勲章を受章。“司馬史観"とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめるなか、1971年開始の『街道をゆく』などの連載半ばにして急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。
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